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AUG13(SUN)Let me wish you a happy birthday!  匿名希望のあやの友達: 8月14日(月)

死びとは 年をとらない。
彼女は18才の春に去って行った。
わたしは前々日一緒に過ごし 分かれ際に いやな感じを覚えた。
あの会は彼女の為のものだった。
「制服封印」はわたしが名づけた。

分かれ際 彼女は門限を守る為 一人 去って行った。
気付いたわたしは 彼女の名前を呼んだ。
彼女は軽く振り帰り 軽く右手をあげた。
それが わたしが見た彼女の最後の姿だった。

わたしは 彼女が好きだった。
多くの人が 彼女を好きだった。
わたしは 同時に痛かった。
彼女は今日 20歳になった。
なんとなく 節目のような気がした。
友人とお父さんを尋ねた。
線香をあげた。
“Cocco”のCDと桃を2個お備えした。
友人は 可愛い ひまわりのアレンジのバスケットを持ってきた。
本当は“Cocco”のCD迷った。
出きれば 残るものは お供えしたくなかった。

だけど。

わたしの自己満足かもしれない。
きっとそうだ。

お父さんや 周りの人と思い出話をした。
お父さんは洋食屋サンをしている。
だけど 最近 年も考えて?ラーメンを始めた!?
普段 わたしは あまり 外食できないけど 特にラーメンとか 油ッこい物は苦手だ。
だけど 美味しく食べた。
食べ物を 美味しく食べる事は 美しく 楽しく 嬉しいものだ。

久し振りに会ったTは痩せててびっくり。
ぽちゃぽちゃのはわたしだけだぁ。
でも これといって ダイエットしてないのよね。やばいなぁ。

あと 花火! 巻かせたぜ! 打ち上げるか?>某氏 (わたしも体調管理するよ)

あとね 健康一番。
今日はまともに階段下れませんでした。
まるで 足にきたボクサーのようだった。参った。

そして 20才の節目 誕生日 おめでとう。J。



自殺直前日記(4/2) 南条  匿名希望の某大佐
 ネット言語職人なんで弔辞に代えて南条あやについて記する。
 あの子犬のような元気でバカな南条が既に骨になっていることがどうも納得しがたい。あのバカのことだから私のPHSに「うそだよーん」っと歌舞伎町あたりから電話がかかってきてもおかしくはないのだが。それぐらい突然の出来事だった。
 南条というと野放図で年中リスカして注射器盗んでおバカな女子高生なイメージが強いが(ひでー表現だな)、彼女の家の門限が夜の8時であることは以外と知らないだろう。バカなことばかりしているが、今時めずらしいぐらいピュアなヤツだった。
 昨年の夏、ピロリが東京に遊びに来ていた時、日記を読んでみると8/16の出来事だ。ちーちゃんがピロを連れ病院に入院中のある女性をお見舞いに行くという。私はピロリを一目見てみようと、その名も知らぬ女性のお見舞いにのこのこついて行った。そこで初めて会ったのが南条だった。南条は私を知っていたんだが、当時、南条はハンドルネームが違っていたこともあって、正直言って知らなかった。
 面会時間の1時間はあっというまに過ぎた。南条が面白すぎるのだ。手首ざくざくを見せられたときはあっけにとられたが、基本的に天才との会話は面白い。南条の場合、バカなんだが、論理体系化されてないだけで膨大な情報量をかかえ次から次へと話しが出てくる。学校の勉強は出来ないが、弥生時代なら卑弥呼になれる女、それが南条にあった時の第一印象だった。
 それから、意外と多くメール交換はしているのだが実際に会うことは無かった。というか私自身が極端に人付き合いが苦手というか不気味というか、特にインターネットに関する友人関係においては驚くほど希薄なままだ。オフ会にも出ないしね。
 いつだったか、宝島の編集者と会話していた時に、ライターのクオリティの問題になった。インターネット上で面白いライターはいないかとの問いに、私が真っ先にあげたのが南条あやだった。しかし編集者は南条あやを既に知っていた。そして「本でも出すんじゃないか?既に出版社が押さえているかも・・・。」とまで絶賛していた。数日後、町田さんと会う機会があった。例のココロの薬と付き合う本に関して、薬系HPを主宰している人へのインタビューという形式だった。そこで自分が同じ本に原稿書くとを述べた時にライターの嫉妬というものをひしひしと感じた。そして南条の話しをした時に、南条の日記をまとめた本が出ることを教えて貰った。私はある雑誌の自殺関連の企画の話しをし、南条あやを編集者に紹介しようと思うんだと言った。町田さんは、まだあやちゃんは何も分かってないから仕事は請け負えない、マネジメントも出来ない、締め切りも守れないし、と次々理由を述べて申し入れを拒絶した。その時ほど才能の差というものを感じたことはない。南条本が売れれば印税で私も・・・という町田の言葉に私は南条は才能あるゆえに、いつか潰されるな・・・と正直に言って思った。
 南条に再会したのは2月だった。ある雑誌の企画で自殺に関わるテーマがあって私にオファーがあった。私よりも才能がある面白い文章をかける人がいるからと推薦したのが南条ととげ、美智子交合の3人だった。久しぶりにあった彼女はやっぱし子犬のようだった。
 私は南条へ直接メールを出した。もう18で大人なんだから自分の判断で生きな、と。今思えば他社の企画段階の話しを、他のライターに漏らしてしまう横紙破りな軽率なメールだったかも知れないがその後の南条の行動は敏速だった。いきなり担当編集者に自ら電話をし、オファーをとり、編集者があわててしまったぐらいなのだ。そして・・・美智子交合は来れなかったが、とげと私と南条、町田あかね、編集者で企画会議のようなものを行った。あの行動的で饒舌な南条の姿はそこには無かった。編集者の質問に対し、南条は傍らの町田さんの表情を伺いながら答えようとするのだが、殆どが町田さんが代わりに答えていた。私は苛立って町田さんの話しが終わると南条に尋ねた。「で、あやの意見はどうなんだ。」南条はうつむいて殆ど答えなかった。
 この歓談中に、ただ一度だけ南条が饒舌になった時がある。婚約者の話しだ。私は彼女の進路先が気になって、南条に卒業後なにするのか聞いてみた。すると南条は、へっへーん♪っと指輪を見せて20歳になったら結婚するんだ、婚約者がいるんだと明るく語った。同席していた町田さんがその突然の告白に吃驚していた。瞬間に私は、これはマズイかも・・・と真剣に思った。師匠の町田さんに言ってないこと・・・私はその場の雰囲気の妙な行き違いに気付き慌てた。それをうち消すかの如く南条は饒舌になって語り始めた。ローリング・ストーン女子高生南条に行き場のようなものがあることにほっとした。そして幸せそうに南条のおのろけ話が続いた。話しに聞くとその彼氏とは××で出会い、既に両親とも会って・・・その彼氏は32歳で、なんか非常にいい人でラブラブな感じぃ〜というか、いい人に巡り会ったんだなぁ・・・良かった良かった、と話しをしていたら「大佐はどうなんですか?」と普段の南条モードに戻り絶妙なツッコミを入れつつ、当時いろいろあった私はバカ話をして、なんか非常に和んでしまった。そして編集者が席を外した隙を見て、リタリンくれー、っと要求してきた。へっへっへ・・・南条、これがリタリンで・・・ふふふっと見せた瓶入りのリタリンの中身は幾つか錠剤が割れていて底に粉となってたまっていた。「もったいな〜い」と南条はくれくれくれくれ・・・で、6錠あげた。お礼にレキソタン5mg玉をいただいた。相変わらずバカな関係である。その時に南条から、薬を瓶に入れる時は脱脂綿とかティッシュとか入れると揺すぶっても固定されて粉にならないよと教えられた。だから、今、私の薬瓶には脱脂綿が詰まっている。
 あの別冊宝島に載っていた薬写真のいくつか(プロザックなど)は南条の持ち物だ。

 数日後、テンション上がりまくった南条から電話があった。
「大佐ぁ、今トモダチの家なんすけどねー、リタリンいいっすねー、うははははは。」っと何やら友人と2人でスニッフ大会をしているようであった。
「リタリン無くなりましたー、またくださーい」
「ええい、ばかもの、大事に飲むのだ」
「けちぃ(笑 あ、これケータイで私貧乏なんで、またねー」

 死の一週間前のメールは普段と変わりない相変わらずバカな南条のままだ。私の彼女は嫉妬深いのか独占欲か、インター上で私の知り合いの女性にことごとく拒絶反応をしめしていた(別に悪意がある訳ではない)。南条のことも嫌って?いると書き込みをしたことに関するメールだ。


 3/23 タイサー!

3月23日の日記、怖すぎます。ホント怖い。(泣)
それからよし子さんに嫌われている私だけどよし子さんのファンになります。
よし子さん素敵すぎ。
素敵な婚約指輪を買ってあげて下さい。
ああ、そういえば私の高校のバレーボールチームがベスト8にでたんですー。
明日準々決勝なんですー。凄いでしょ凄いでしょ。
私がプレーしているわけじゃないけどさ。かかかかかーーー。

 忙しくてメールの返事を出さなかったことが悔やまれる。

 なんで死んだのかは分からないけど、ちょっと前に私がフェイクで胃洗浄の話しをHPにアップしたことがある。掲示板には嘘ぴょーっんっと書いておいたのだが、気付かなかった南条から「た・・・たいさー(泣」というメールが来た。これに返事を出していなかった。


 3/21

たたたたたたたたたたたたたいさーーー!!!
日記見てビックらこいてますよおアタシャ。
何を何錠飲んだのですか!?
あひーーー!
涙出てしまいましたよ。マジで。
メールにてお見舞い申し上げます。
現在は体調の方はいかがで?
私は自分のページを立ち上げるので血を吐くような努力をしています。
HTMLって難しい。(泣)
また元気な大佐にお会いできるの心よりお待ちしています。
あと、ページはリンク張らせていただきます。嫌だと言っても消えてもね。
ではまたーーーーーー!

 南条はバカなんで、もしかしたら胃洗浄にレッツチャレンジなんていうことだったのかなぁ・・・なんて考えている。だって死ぬ理由が思いつかないのだ。
 本当にバカな子だった。文章の才能は師匠の町田さんを大きく上回っていた。殆ど記事らしい記事の無いお薬研究所で南条の頁だけが充実していた。
 訃報を聞いて、先の編集者のところへ電話をした。南条の原稿は数日前に完成し送られてきたという。



匿名希望のあやの友達

 1998年春、私はインターネットを通して、ひとりの女の子と出会いました。ハンドルネームは“JUN”。当時17歳の女子高生です。

 その年のお正月にMacintoshを買ったばかりの私は、自分も神経症と診断されていた事もあって、とある精神科に通う人たちが集まるホームページが気に入り、毎日のように入り浸っていました。春頃になると、自分も掲示板に書き込みをするようになっていました。JUNも同じようによく書き込みをしていました。その頃のJUNの書き込みでわかっていたことは、彼女にリストカット癖がある事、極度の貧血である事でした。彼女とチャットで話してみると、礼儀正しい女の子と言った印象で、「精神科に通いたいが、父が許してくれそうにない」と言ったような事を話していました。育った環境などに共通点もあり、年こそ離れてはいるけれど、私はJUNに親近感を覚えました。

 同じ時期に知り合った人が言っていた言葉で強く私の頭に残っているものがあります。

ひとはみな同じなんだとつくづく感じます。
だったら少しだけさきに経験したひとが、
いまおなじ苦しみのなかでベクトルを探しているひとに
すこしだけ手を貸すのはあたりまえのことだとおもいます。
 この言葉は、不思議なくらいに私の心にしみていました。そのせいもあってか、私はJUNにメールや掲示板で話しかける事が多くなっていきました。
 JUNの方といえば、余りの体調の悪さに見かねた学校の先生の勧めもあり、精神科を受診する事ができるようになりました。
 夏になると、重度の貧血の治療のために大学病院に入院が決まったとメールが来ました。私は何度かお見舞いに行きました。お見舞いに行くたび、JUNはいつも楽しそうにしていました。小さな頃からお父さんと二人だけの生活だったので、いろんな人が自分を気にかけてくれるのが嬉しかったのではないでしょうか。
 ある日、友人数人を連れてお見舞いに行った時、JUNは「“南条あや”という名前でホームページに日記を公開している」と言いました。早速そこへ行ってみると、薬事評論家(?)の町田あかねというライターのホームページの一部で、「現役女子高生あやちゃんのお部屋」と言うコーナーが設けられていたのです。その日記にも、リストカットをしてしまう事や父親との確執、その他にも学校での出来事など、長い文章が毎日更新されていました。ネガティブな要素の中にも、何か力強さを感じられる内容でした。もちろん入院中も日記をつけていて、JUNもそれが多くの人に読まれるのを楽しみにしていたようです。そして、彼女の書き続けていた日記は町田あかねや他のライターによって単行本化の話が進んでいたらしいのです。これは、入院の際に、あるライターからデジタルカメラを渡されていたと言う事実と合わせて考えると、JUNの入院によって何かが動こうとしていた事が感じ取れるとも思えます。その頃のJUNからのメールには「ハンドルネームは、これから南条あや一本でいきます」と書かれたものもあります。それは何かの決意の表れだったのでしょうか。

 そんな中で、JUNから南条あやになった彼女はマスコミに顔を出す事になります。GON!(ミリオン出版)への手記や特集、別冊宝島の「おかしなネット社会」での取材、同じく宝島社の「自殺したい人びと」では、彼女自ら執筆し、遺稿として扱われています。
放送は死後になってしまいましたが、テレビでも、フジテレビ火曜ワイド「インターネットな女達」への出演もありました。
 生前からネットアイドルと言われるようになっていた彼女は、自身のホームページ“南条あやの保護室”を見るとわかるように、死んでますます、周りからまつりあげられるようになったのではないかと私は感じています。

 彼女の死後、お父様は「あやの日記を単行本にしたい」と言うようになりました。それと言うのも、彼女自身が高校を卒業する頃、病院の紹介をしてくれたり、何かと心配してくれた担任の先生に、自分の本が出るかもしれないと言う内容の手紙を渡していたからだと言います。これは町田氏が企画していた本の事を指すようです。しかし、お父様は町田氏の企画するものではなく、自分の手で出版にこぎつけたいと考えています。親が自分の子供の願いを叶えたいという気持ちになるのは当然の事です。そして、私も生前こんなメールを受け取っていました。私が南条あやの本を世に出したいと強く思っている理由は色々ありますが、そのひとつはこのメールにもあります。


朝起きてめそめそ。
学校に行ってしくしく。
家帰ってめそめそ。
父出勤してから大泣き。
こういう生活を送っています。
今日食べた物・干しいも二欠片、
マカダミアチョコレート一個、アクエリアス少々…。
えへ、痩せられるかな…っていうか「これが鬱という状態か!!!!」なんて
今更分かったりして。あはは。うふふ。
分裂病になって何もかも放り出したい気持ちです。
あ、ごめんなさい愚痴って…。
不安発作もちだというのに…。
お大事に…っていうか何でこんなちんけな自分の脳の汁の分泌に
私が左右されなきゃいけないの!?と泣き怒り気味です。
ははは。うふふふ。とにかく、Tさんお体大事にね!
私の手記でも死後に発表されたら買ってね!(15パーセントくらい本気)
明後日お医者さんだから頑張るけど、頑張るけど…本当に頑張って下さい、私。

 一方、町田あかね企画の本は話が止まりました。宝島社で開かれた別件の編集会議の席上で彼女が「私、20歳になったら結婚するの」と言った事をきっかけに町田あかねが彼女から離れていったからです。リストカッターで自殺願望のある少女のセンセーショナルな本にそんな幸せな未来が待っていては困るとでも思ったのでしょうか。
 とにかくそれを境に町田氏は周囲の人間にも「南条あやが、うざったい」等と言うようになり、JUNへの態度も冷たいものに変わっていったと聞きます。そして4月から日記は自分でホームページを開いて、そこでやっていってほしいという要望があったそうです。
 一方、高校を卒業し“現役女子高生”ではなくなった彼女は、自分の身の置きどころに悩むようになりました。実際、3月の日記には以前のようなパワーがなくなっていますが、同時に4月に向けて、自分のホームページを立ち上げるのに婚約者とふたりで急ピッチで制作にあたっていたことも事実です。

 3月の終わりになって、仲間内から高校卒業をJUNの大好きなカラオケでお祝いしようしようという話になり、下北沢に集まる事になりました。当日来ていたのは、8人位だったでしょうか。
久し振りに会った彼女は、ダイエットをしていた事もあって、だいぶ痩せていました。そしてその表情は、夏に行ったお見舞いの時とは変わって、決して明るいものではありませんでした。
 カラオケボックスでは、JUNにいくつかのプレゼントが贈られました。ところが間もなくすると、私も含め、それぞれが好き勝手な事をはじめました。「南条あやの卒業祝い」といった雰囲気はあまりなかったように思います。彼女は言葉も少なく、ただ何曲も何曲も続けて歌っていました。私は途中で具合が悪くなり、先に帰ろうと部屋の入り口でJUNに手を振りました。歌いながら手を振り返してくれたのを覚えています。帰宅する時の彼女は、決まった門限を破ろうとする事もなく、ダラダラしている他の人達とは別に、ひとりで帰っていったそうです。

 それがインターネットを通して知り合った人達と南条あやが顔を合わせた最後の日です。その2日後、彼女はカラオケボックスにひとりで入り、約3時間後、部屋の中で息を引き取りました。


モドル